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じんさんの日常

じんさんのヒデキを語るブログ 第二回

今回第二回は中学時代の話になります。

 

中学になると音楽を聞くのと同様にラジオも聞くように。ラジオでは様々なジャンルの音楽と接するようになり。またその分新たなアーティストを聞くようにもなりました。歌謡曲、アイドル、フォーク、ポップス、ロック・・・。その中においてもヒデキの存在は絶大でした。そんな中学時代の話を深掘りしていきたいと思います。(一部敬称略)

 

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YOUNG MAN (Y.M.C.A.)

 

中学に上がる少し前にYOUNG MAN が発売。(Y・M・C・A) とアルファベット四文字を全身で表現。しかも星条旗を模した衣装で。アメリカは遠い遠い世界と思っていた事もあり、気づけばYOUNG MAN の虜になっていました。テレビの前でまるでコンサート会場に居るかのように(Y・M・C・A) とやっていました。

 

この楽曲は洋楽のカバーと言うのは当初から知ってはいましたが。日本語訳が素晴らしい。超ポジティヴな世界観に酔いしれていました。

 

ゆううつなど 吹き飛ばして
君も元気出せよ
若いうちはやりたい事
何でもできるのさ

 

もうね、これで元気が出ない訳が無い。

後にアンサーソング的な立ち位置で海援隊が「JODAN JODAN」を出した時は普通に笑っていました(笑) 夜のヒットスタジオでリアルタイムで見ていました。武田鉄矢さんがキレッキレでただただ笑いでした。

 

1980~1982年

 

1980年から82年のヒットチャートはまさに世代交代と言うべき時代でした。山口百恵さんの引退、ピンクレディーの解散、アリスの活動停止、石野真子さん引退。そしてまるで入れ替わるように松田聖子さんをはじめ多くのアイドルがデビュー。その中でもYMOの台頭は大きかったです。様々なバンドが電子楽器を取り入れる事にまで発展。

 

そんな音楽シーンの中においても、ヒデキはブレることなく確実にヒット曲を量産。1980年だけでも「悲しき友情」「愛の園 (AI NO SONO)」「俺たちの時代」「エンドレス・サマー」「サンタマリアの祈り」「眠れぬ夜」と実に5枚のシングルを発表。しかもこの5曲がそれぞれ別のジャンルであり、曲に合わせて歌い上げていました。今思うとこれは本当に凄い事だと思います。

 

特に「眠れぬ夜」に関してはオフコースのカバー。(最もこの時点ではオフコースバージョンを聞いていなかったのですが)賛否はあったそうですが、ヒデキ流に歌いこなすのは流石としか言いようがありません。

 

セクシーガール

 

所謂「ガール三部作」の中の一曲ですが。この曲は当時人気だった横浜銀蝿作詞作曲。曲調はもろ横浜銀蝿なのですが、歌謡曲よりのアレンジがいい感じに中和され、いい感じの名曲だと思っています。(因みに、横浜銀蝿のアルバム曲には、この手のミディアムテンポのロックンロールも少なくありません)

 

まとめ

 

世代交代の時代の中でもその存在感を示すヒデキは、改めて凄いと思いますね。特にヒットチャートを見ると、凄いメンツが並んでいる訳で。様々な曲を聞いていましたが、無意識に脳内に割り込んでくるのは独特の歌唱力の賜物だと、そう思っています。

さて次回は高校時代編になりますが。徐々にアダルト志向にシフトしていく事になります。次もよろしくお願いします。

 

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